2013年
1月
14日
月
サブタイトルも決まりました
前日のリハーサル
佐藤 祐
会場に到着するなり、早速
講演会場のイスの並べ方を
まっすぐ縦横に並んでいたイスを扇状にしてほしいとお願いして
前後の人の頭で見えない事のないように座った視線を
確認して交互に並べました。
ピンマイクも直接、衣服につけれるので
身体の動きに合わせて声をひろってもらえる!
この前日リハは 講師が数々の質問に答えながら進行、それを真剣にメモする人がいたりとすでにゼミの風景になっていました。
講演に 1時間
(最初、カーテンの後ろに隠れるようにとの指示(笑?!)
5分間の情熱大陸のBGMにのせた自身のミニヒストリー映像のあとに登場・・)そして50分しゃべり通しでしたが、絶妙なところで司会の方からの間の手が(いろいろ、会場の人が聞きたい、知りたい所を引き出して下さいました。)
その後、対談 になり
障害学との出会いのきっかけになった 本も現物をお見せしたり
大学時代〜札幌での生活〜東川町移住のこと
日本国内や海外での旅行について
さいごはフリートーク、バリバラ?!風に。笑
地域に暮らしている障害者の方から、地方での暮らしでは、アクティブに動くことはなかなかむずかしい、友人や仲間を どう作っていったら良いか、などの質問、講師自身も等身大の現在進行形の東川町での取り組みを応えながら、良い時間となりました。
園長先生ご夫妻
数段の階段を担ごうとして外に腕まくりで出てきて頂いたときに
佐藤 たすく
「ぃや 重いので・・」(高齢になる園長先生を気遣ったつもりが)
園長先生
「 あたりまえでしょ 成長したのですから
重いにきまってるでしょ」と 笑いながら 数人で
ひょいと 車椅子ごと持ち上げて、あっという間に教会の中へ
佐藤家のご両親に 昔の話を聞くと
祐5歳のころは、家の窓から幼稚園に通う同じ子どもを見てはじぶんも行きたい、という表情。
一番近所のところは うちでは無理ですね、とやさしく、ことわられて。少し離れた、こちらの幼稚園で写真の園長先生が
1日、お母さんと一緒に来てみてください、と言ってくださり
ドキドキしながら親子で 1日体験入園
結果、数時間で
「まったく、問題ないので お母さん、どうぞ お帰り下さい」
と言われて(この時のことを 佐藤家の母は、当時の驚きとうれしさ、幼稚園時代のことは 今でもくりかえし語ってくれる話しです。)
幼稚園の行事すべて運動会、劇やお遊戯、発表会なども先生とみんなで工夫してサポートがあったり一緒に無事に卒園できたということでした。
思い出話や 今後、園児、父母の方たちの前でも 機会があれば話してほしい、とおっしゃっていただきました。
このときに
カムイバリアフリーツアーセンターの只石社長が名付けた
紅蓮隊 五十嵐氏と 佐藤 祐との「迷(名)コンビ」
当日のその場のアドリブで
お互いを登場させたりもしつつ、活動紹介・・
マイクスタンドを紅蓮隊 五十嵐氏が
佐藤 祐 に向けてくれたりと「助かりました(嬉」
新たな出会いが・・ CAPさん 柴野先生
二次会の交流会のBARは階段の建物で 3階まで一気に
超スピードで 車椅子ごともって頂きました
車椅子を担ぎに現れたメンバーが
作家の高橋 歩さん 映画監督の小橋賢児さん 歌手のガクMCさん その仲間のみなさん。のぼりも降りるときも とにかく速かったー
その後も深夜まで、CAPさん宅に
ご家族の方にもたいへんお世話になりました。
深夜に見る夜空の星の美しさも
外は寒かったけれど 名寄の人の心のあたたかさが伝わる
忘れられない日となりました。(どこかでこの日の夜の偶然の出会いと起こった出来事を記録したいのですが、いつか、きっとまたお会いできそうな気がします・・)
2013年
1月
05日
土
札幌と同じように夏のお祭り、大通のビアガーデンなどに
行くときにも よく着ていたアンティーク着物の浴衣を着て
旭川のお祭りに 参加しました。
旭川の繁華街、さんろくの通りを神輿とともに歩きました。夜に祭りの活気は最高潮に。来年もぜひ、参加したい。
翌日は 石狩へ
東川町の青空の下 演歌を聞きながら 気分は RSR in higashikawa
限られた共有スペースなので、車椅子が自走できる角度の傾斜ではないですが、移住後、札幌、函館、方々から来てくれる友人の車椅子の方たちが、いつもこの階段の移動が負担になるので、少しでも軽減できるように作成、前後に補助する人がいれば、あがれるようにしました。
2013年
1月
04日
金
膝を痛めて、生活を改めて工夫しながら様子をみました。腫れが治るまで、2ヶ月かかりました。
直接、お話できる時間があり、現在、暮らしている北海道東川町の町の規模や制度についてなど話し アメリカの同じ規模の町と比較しながら話を伺う。
神輿やみんなとあわせて 電動車イスでの操作には ちょっとコツがいる
細かくきざむように 発進と停止をくりかえす・・・。
「はるなが まちに やってきた」
公演の内容の素晴らしさはもちろんですが。
そのあとの交流会での意見交換、さまざまな職業、行政の方、
障害をもつお子さんの親御さんたち、ひとりひとりの話す言葉、質問にかたつむりの方たちが返す、真剣な言葉、内容の深さに心をうたれました。
東京で三井絹子さんが 何十年も戦って 勝ち取ってきたことの歴史の深さと一緒に共に生きてきた仲間のつながり、世代も障害の種別などをも超えて 本来の在るべき姿に、圧倒されました。
2013年
1月
03日
木
写真 左
「くまげら」のマスターと
一緒に並んでカウンターで呑んでいる
いつもビールでも焼酎でもワインでも日本酒をストローで飲んでいるのを見て、好奇心旺盛なくまげらマスター、一緒にストローで
お酒の味の変化を楽しんでいるところ。
写真 右
「きつつき」カウンター で 馴染みの人や
お仕事で富良野へ来たというオーストラリア人と 呑んでる
(マイウェイを なぜか?! みんなで大合唱 深夜3時まで)
マスターがギターの名手なので 音楽の話や
ここで会う人たちが いつもみんな あたたかい。
札幌時代から、夏に冬に何年も通っている大好きなお店です。
初めて入ってカウンターの高さに 車イスで上がれる手づくりスロープと台があったことに感動・・・マスターの亡きご友人のために作ったものだそうです。
写真 下
美瑛町へ いつも、たすくゼミナールにも来て頂いてる
千葉さんの「丘のまち 停車場」へ
石釜でPIZZAを焼いてる 接客サービススタッフの方が
外の車まで 車椅子の介助を手伝ってくださいました、ありがとうございます。
前年にも 札幌から夏頃に授業で行った 遠別小学校
2012年は冬の夜に 旭川から路線バスを留萌で乗り換えて 遠別まで。
宿泊先の温泉旅館も
街から離れた かなりの山奥にあり
天候によっては封鎖される道路ということで
翌朝、無事に学校へ辿り着けるか、ヒヤヒヤでしたが
たのしい旅と共に出会う生徒さんたちの真剣な眼差し
とても、いい授業ができました。
昨年から 何度か話合いをかさねて
バス会社、じっさいに利用する車椅子ユーザー、地域の各分野の
様々な方達と一緒に 車椅子で安全に乗車するには
どんなところを注意する必要があるのかを じっさいにバスを使っての試乗会。
札幌へ ある人の講演を聞きに、札幌駅の地下街を歩いてるだけで
次々、知り合いに会う。 なついさん、あらくん ・・ そこに偶然
函館から かんばすのよこかわさんの姿も。
こんな風景を あちこちの街でみれるようになれたら、と思いました。
函館 自立の風かんばすへ
自立の練習の家 「富岡道場」など案内してもらう。
おーちゃん(大平)のバリアフリーツアーで五稜郭公園内の奉行所へ
写真上うしろ
前列右 CIL北見代表の渡部さんは
筋萎縮性側索硬化症「ALS」です。わたしたちと口文字で会話します。渡部さんの言葉を読み取る方が、口で五十音を言い「あ か さ た ・『 た 』・・」「さ し す・・・『 す 』・・」それをなんどかくり返し『たすくさんは おいくつですか? 』という感じです。かなりの速さ、笑いや冗談も散りばめらた、スピードのある自然な会話、渡部さんの目線や唇の動きや表情などで細やかな言葉のニュアンスまで読み取って伝えらます。
渡部さんから いろいろとお話を伺う中で、
自分の場合はコミュニケーションができないと何もはじまらない。
暮らしている 地域の中に対応できるヘルパー派遣事業所がないことで 相当な歳月を ご家族の介護で 生活していた時期があったとのこと。
CIL 北見は地域で暮らすために対応できる事業所がないことから、必要性から渡部さんが自ら立ち上げたところでもありますが、今ではそこに暮らす
地域の人たちにとって重要な役割を担う場所になっています。
写真上 渡部さんの後ろ
代表渡部さんの講演を学生時代に聴いていた方が卒業後にCIL北見に就職、スタッフになっていたり・・
写真下一緒に焼肉している北見の専門学校の教師、銀次くんもCIL北見で過ごすこともあるそうです。(佐藤 祐と銀次くんは 札幌時代からの知り合い。北見の夜は再会を祝してごちそうになってしまいました。ありがとう、笑)
CIL 北見、代表の渡部さんの人柄が伺える 素敵なところでした。
今後も峠を越えて、東川町から通わせていただきます。
2012年
12月
14日
金
2012年
12月
02日
日
2012年
11月
20日
火
2012年
11月
02日
金